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アニメ『あかねさす少女』12話(最終回)感想 - ちくわは世界を救う

2018秋アニメ『あかねさす少女』第12話(最終回)「いつか、黄昏の降る空の」感想です。

前回あらすじ
黄昏の王と対面する明日架。この世界における黄昏化を止めるよう、そしてアスカを彼女の世界ごと全て蘇らせるように、彼女は懇願する。だが、その代償として明日架は黄昏の王と共に往くことを促される。「私には黄昏とひとつになる素質があった、そしてそれは……あなたにもある」。その言葉が明日架を揺れ動かしていく。誰かを失った事実を変えることはできない。でも、悲しみを忘れることはできる。そう言葉を掛け、さらに促す黄昏の王。その手を、ついにとろうとする明日架。その時、彼女は聞いた。彼女がよく知る友人の叫びを。

最終回あらすじ


©Akanesasu Anime Project

黄昏の使者と共に行くと答える明日架に、優は彼女を信じて行かせる。黄昏を歩き続ける黄昏の使者に明日架はちくわを食べに行こうと別のフラグメントに立ち寄る。そこで黄昏の使者にもちくわを勧める。明日架がちくわを好きになったのは今日平のちくわ占いがキッカケだった。


©Akanesasu Anime Project

2人は今日平を捜し様々なフラグメントを渡り歩く。しかし今日平は見つからない。明日架は今日平が失踪したときに泣いていた理由を語り出す。それは、今日平が居なくなって悲しくて泣いていたのではなく、泣いていれば今日平の失踪の原因を責められないようにというものだった。

それが明日架の罪であり、そのために罰として今日平の後を継ぐように、味噌屋を継ぐと優に宣言したのだった。一方で黄昏の使者も同じだった。そしてその罰として感情を失うことを課した。時間が経つとみんな今日平のことは忘れてしまい、人間がいなくなっても問題ないという考えに取り憑かれ彼女は黄昏に飲まれてしまった。


©Akanesasu Anime Project

黄昏の使者は、自分は孤独なのに明日架は友達に恵まれて狡いと叫ぶ。そんな黄昏の使者に明日架は優しく語りかけるのだった。

明日架「私もね、色んなフラグメントを見てきたよ。それで分かったんだ。私には、この土宮明日架には、色んな可能性があるって。それなのに私は罰を言い訳にして目を瞑ってきた。まるで黄昏の中にいるみたいに。だからね、私はもう今日ちゃんのことを言い訳にしない。誰のせいにもしない。優が言ってくれたように、シリアスカが言ってくれたように、自分と向き合う。世界の有り様は自分の行動の帰結。その覚悟をしてはじめて、人は自由になれる。私は自由になると決めた。


©Akanesasu Anime Project

黄昏の使者は今日平との過去に思いを馳せる。

今日平「僕は今日を平和に生きるから今日平。明日架ちゃんは、明日への架け橋を渡って行く人なんだ。
黄昏の使者「えーでもそれじゃあわたし今日ちゃん置いて行っちゃうー
今日平「ううん。僕はいつも明日架ちゃんと一緒にいるよ?だって明日はいつか今日になるから。黄昏の降る空の向こうで必ず!

黄昏の使者は涙を流し、罰から解放されるのだった。


©Akanesasu Anime Project

元の世界に戻った明日架はラヂ研のみんなと再会する。そして明日架は大学へ行くと決心する。そして後日、朝起きると味噌屋に味噌泥棒が入っていた。シリアスカが生きていることを信じ、明日架は海に向かって叫ぶ。その明日架の手元にはカセットテープが現れていた。

感想

いい最終回だった。前回の感想で、明日架は最後まで変身しないんじゃないかと言ってましたが、その通りになりました。良かったです。言葉だけで黄昏の使者を救ってあげるというのは、すごく明日架らしい行動だったと思います。黄昏の使者も、少しずつ罪から解放されるにつれて感情もあらわになっていました。ちょっとモノクロの静止画の連発はちょっと観念的すぎる演出かなとは思いましたが、まあそれは愛嬌でしょう。

アニメは全てが都合のいいハッピーエンドになりがちですが、今日平とは結局会えなかったりどこに行ったのかも分からなかったり、黄昏の王を倒すまでは至らなかったり、シリアスカの生存も仄めかすだけに留めているのも、無限の可能性はあっても思い通りにならないこともあるということを示唆しているようで、すごく真摯な態度だなと思います。明日架と今日平の名前の処理も私が想像していたよりもシンプルで良かったですね。

総評としては、後半は説教くさくなったなあとは感じましたが、これも前回言ったように中高生に是非見てもらいたいですね。フラグメントは色々な自分の可能性で、ラヂ研のみんなは実際に自分の異なる可能性に出会って、それを実感することができました。しかし、現実世界の人間達だって可能性の塊であることには変わりありません。小学→中学→高校→大学→大学院などと特に何も考えることなくレールに乗って進んで行く人が多い中で、本当にやりたいことはなんなのかと一度立ち止まって考えてみることが大切だったなと私自身も改めて感じました。

ただ大人になったら、他の可能性が全くなくなるとは言えません。大人になってから始められることは沢山あります。私(たち)も1年前から本格的にブログ活動を始めて、叱られたり貶されたりするときもありますが、楽しく書かせてもらってます。結局何事も一歩踏み出すことが大事なのだなと『あかねさす少女』は改めて感じさせてくれました。

なにひとつ恐れることなんてない。だって、私たちの未来はいつでも今日始まるのだから!